「社会貢献を面接で語る学生...」に全面降伏している場合じゃない件について

「社会貢献を面接で語る学生を皮肉ってる場合じゃない件について」というエントリがネットで話題になっている。
読んでみてぶっ飛んだ。確かにその通りである。何となくみんなが感じ始めていることを、見事に言いあらわしている。賛同のコメントも多い。若いのにすごい論客である。

しかし、自動車メーカーや家電メーカーなど、「超絶飽きられちゃっている」とされている業界の人までが「全くその通りである」とコメントを寄せているのを見るに至って、あれれ?と思った。曲がりなりにも日本をここまで発展させてきたオジサンが、こんな風に全面降伏してしまっていいのだろうか?彼らは、自分の仕事を本当に「超絶つまんない」と思っているのか?

エントリの筆者は、「もはや、自分の頭できちんと思考ができ、やる気のある若者は既存のシステムに超絶飽きているのだ。そんなものよりもずっとドキドキできてワクワクできて自分の限界に挑戦できそうな、難問が世界中至る所に転がっている、そして今ならそれらが昔よりもずっと鮮明に可視化されているのだ」と述べている。ここが、僕が最も共感した部分であると同時に、ちょっと待てよと赤ランプが点滅した場所でもある。

例えば幼稚園児に、「大人になったら何になりたい?」と聞くと、パイロットとか野球選手とか、お花屋さん、ケーキ屋さんなどの答えが返ってくる。要するに、可視化されている職業しか目に入らないのだ。それが大人になるにつれ、いろいろな経緯があって家電メーカーで洗濯機のモーターを作っていたり、銀行の支店で町工場の融資を担当したりして、さまざまな形で役割を分担し、社会を支えているわけである。

ネットで貧困にあえぐ子供たちの写真を見ただけでNPOに飛び込むんだったら、幼稚園児と変わらない。やはり一度、社会全体の構造を見渡して、自分の能力、意欲、適性を見極めて、しっかりとした考えを持ったうえで自分の歩む道を選んでほしい。その結果、世界中の問題を解決する仕事を選ぶのであれば、大いに結構なことである。

一方、若者から見るとあまり可視化されていない仕事をしているオジサンたちは、自分たちの仕事の意義をもう一度見直して、自分の仕事はこんなに社会に役に立っているのだと胸を張らなければいけない。いまは残念ながら、リストラとか鬱とか自殺とか暗い面ばかりが可視化されてしまっており、若者が会社で働くことを「超絶つまんない」と思う原因になってしまっている。

我々オジサンたちも頑張らねば。「社会貢献を面接で語る学生...」に全面降伏している場合じゃないのである。

Life is like a train

早稲田大学の入学式Paul Snowden教授のスピーチ(翻訳)

今日は、列車の旅についてお話ししたいと思います。

東京は、鉄道の街です。ほとんどの皆さんは電車で通学しているでしょう。私もです。ドアツードアで1時間かかります。葛西や、田無や、所沢や、戸田公園の寮から通っているSP2の学生の皆さんは、時間がかかるのと、電車が混雑していることに驚いているでしょう。でも、そのうち慣れますよ。何事も経験です。

人生も、列車の旅のようなものです。
速いこともあればゆっくり進むこともある。
お金だってかかります。
長いこともあれば短いこともある。
混んでいるときもあればガラガラのときもある。
快適な場合もあれば、不快な場合もある。
事故や遅れもあるでしょう。
列車を降りて乗り換えなければならないこともあります。
そしてなによりも、目的地が決まっていなければいけません。そしてあなたは、事故があろうと遅延があろうと、その目的地まで行く意思が必要です。

皆さんに、私がこれまで経験した最も興味深い列車の旅のことをお話ししましょう。
いえ、高田馬場まで毎日乗っている西武新宿線のことではありませんよ。
私がちょうど皆さんと同じ18歳の時、大学に入る前の休暇での旅のことです。

私は友達とグループを組んで、ロンドンからモスクワまで旅をしました。
私たちの計画は、ロンドンから列車でドーバー海岸まで行き、そこから船でオランダに渡り、さらにそこから列車に乗って、トコトコとモスクワまで行く、というものでした。

それは、列車の中で2泊し、全部で3日かかる長い旅です。
でも、座席は予約してあるし、モスクワまで同じ車両にずっと乗っていればいいのだからと、私たちは安心していました。心配があったとすれば、それは東ドイツ、ポーランド、そしてソ連と、東欧諸国を通っていかなければいけなかったこと。当時は冷戦の真っ最中で、それらの国々がどんなに厳しいかを噂に聞いていたからです。
いずれにせよ、私たちはドーバー海岸から船に乗ってオランダに着き、そこからモスクワまでの長い列車の旅に期待しながら、意気揚々とロンドンを出発したのです。

しかし、ロンドンを出てから1時間後、私たちの乗った列車は、畑の真ん中で止まりました。それから2時間というもの、列車は動きませんでした。やっと私たちがドーバーに着いたときには、船は出航した後でした。そこで私たちは次の船まで何時間も待つはめになりました。

私たちがオランダに着いたときは、私たちの乗るはずだった列車は4時間も前に出発していました。もうその日にはモスクワまでの直通列車はなく、私たちはケルンまで行き、そこで乗り換えるように言われました。
私たちは言われた通りにしたのですが、指定席ではなかったので4時間立ちっぱなしでした。ケルンに着いたときは既に夜で、私たちは翌朝6時発の東ベルリン行きの電車まで待つように言われました。私たちは、駅のプラットフォームで、何とか寝るように努力しました。

翌朝6時、東ベルリン行きの列車も混んでいました。西ドイツから東ドイツに入るとき、東ドイツから西ベルリンに入るとき、西ベルリンから東ベルリンに入るとき、その都度銃を持って犬を連れた衛兵が厳重にパスポートをチェックしました。

東ベルリンではワルシャワ行きの列車に乗るために、さらに3時間待たなければいけませんでした。しかし、車内でのパスポートと乗車券のチェックが厳密に行われるためか、駅には改札というものがなかったのです!それで私たちは、東ベルリンの街を歩き回るという得難い経験ができました。このことについては、またの機会に詳しくお話ししたいと思います。

ワルシャワも同じように、待ち時間に観光ができました。

そしてついに、1日遅れで、私たちはモスクワ行きの列車に乗り込むことができました。ポーランドとロシア、というか当時のソ連の国境では、さらに厳しい入国審査が待っていました。そして、なんと列車は車輪を取り替えていました。このことについてもまたの機会に詳しくお話ししたいと思います。

空腹で、疲れ果てながらも、私たちはとうとうモスクワに着きました。これは、私が毎朝高田馬場まで行く列車の旅に比べれば、ずいぶんと興味深く、チャレンジングな旅でした。

そして皆さん、これは人生のようなものです。
遅れもあり、快適でないこともありました。
予期せぬ計画変更もありました。でも、われわれは目的地があり、最後にはそこに到達しました。.

さて、皆さん、早稲田大学は皆さんにとっての最終目的地ですか?
ある意味ではそうでしょう。皆さんはここに入るために猛勉強をしてきたのですから。
しかし、仮にそうだとして、皆さんはこのあと、何をするのですか?
これから早稲田大学で、皆さんは別の、もっと遠くの目的地を探さなければいけません。

早稲田は、言ってみれば私の18歳の旅の時のケルンや東ベルリンや、ワルシャワのような中間地点にすぎません。ここで皆さんは今まで乗ってきた列車を降りて、何か新しいこと、これまでとは違うことをし、予想もしなかったような発見をして、そして次の目的地に向かって旅立つのです。

私たちは東ベルリンで3時間、観光する時間を与えられました。みなさんは早稲田大学で新しい経験をし、新しい知識を得、新しい友達に出会うための4年間が与えられています。

列車には運転手が必要です。そして、ここにいる先生方は、皆さんの運転手役です。先生方は皆さんを新しいアイディアや、新しい考え方、新しいアプローチに導いてくれます。
先生方は、全力を尽くして、皆さんをスケジュール通りに運ぼうとしてくれます。また、先生方は皆さんを事故から守り、安全に運ぶことに全力を尽くします。
そして、これだけは覚えておいていただきたいのですが、先生方は皆さんと同じ方向に走っています。なぜなら先生方が列車を運転しているからです。
先生方は、皆さんが目的地に向かうことを邪魔するために反対方向に走ったりすることは決してありません。先生方は、皆さんが目的地に安全に到着することを願っているのです。もし遅れや事故が発生しても、皆さんを列車から放り出したり、行きたくもないところに行かせたりせず、目的地に着くようアドバイスし、サポートするのが先生方の役目です。

SILSの先生方を代表し、私は皆さんの運転主役として、皆さんが次の目的地まで快適かつ実りのある旅ができるよう務めることをお約束します。

(Translation by T.Makino)

流れ流れて佐渡島 Day Two(1)

翌朝6時、爆睡中の妻子と犬を乗せたまま、車は二つ亀に向けて早朝の海岸線を走ります。
道は思ったより広くて真っ直ぐで、快適です。以前は細い道が海岸線にまつわりつくように走っていたのを、新しい道路は橋とトンネルで一直線にぶち抜いています。道の左右には曲がりくねった旧道が、三日月湖のように残されているのが見えます。

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岬に近づくと道は断崖を一気に駆け上がり、しばらくクネクネとのた打ち回ったあと、7時30分に二つ亀到着。佐渡といえばここの写真がガイドブックにもパンフレットにも真っ先に出ているのですが、駐車場には数台しか車がいません。しかし!海岸に行くには急坂を徒歩で下り、なおかつ階段を200段近く降りなければならないことが判明しました。

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積丹半島のカムイ岬とか、宮城の浄土が浜とか、海岸の景勝地はこのパターンが結構あります。車椅子の子がいると言うと海辺の駐車場まで入れさせてくれるところもありましたが、ここはそもそも道がありません。こればかりは実際来てみないとわからないのです。


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まあ、佐渡の端っこまで制覇したのでこれでよしとして、来る途中に目をつけておいた入崎海水浴場まで引き返すことにしました。距離は20km。時速60kmで走って20分で到着しました 。ここは海のすぐ近くに車を停められるので、長男を抱いても、楽々海に行けます。

海は相変わらずぬるま湯のようで、波も穏やか。青い空を眺めながら澄んだ水に浸かっているのは実に気持ちがいいものです。これだけでも佐渡にきた甲斐がありました。

流れ流れて佐渡島―Day One(5)花火

時間は5時。ちょっと早いけど、河原田町の回転寿司屋で夕食です。
店内には、「佐和田獅子ケ城祭り」と書かれたチラシが貼ってあります。今日は花火大会もあるというので行ってみることにします。

会場に近づくと、人と車の密度が上がってきましたが、なんとか海岸線沿いに駐車場所を確保。ここから先は進入禁止になっているので、車で行ける場所としては特等席です。

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6時30分、すんごい夕日が海に沈んでいきます。花火はいつ始まるか知りませんが、次男はここで宿題タイム。ここは何とかAIR-H”がつながったので、私はメールの返信やBBSの書き込みに精をします。そして驚いたことに、佐渡が島のこんな町でも、ちゃんとアメリカからメールが届くのです!(あたりまえか)。そ知らぬ顔をしてメールを返信。テキもまさかサド・アイランドからメールを返してきてるとは思わないでしょう。

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8時30分に花火開始。車からキャンプ用の椅子を出し、ふんぞり返って見物です。ビールが飲めないのがまことに残念です。
自衛隊のバンドがディズニーのメロディーを演奏する中、花火が打ちあがりました。
しかし、花火の間隔の長さが半端じゃありません。ぽっか~んと一発あがると、しばしの静寂があり、またぽっか~ん。華麗なディズニー・ミュージックだけが虚しく響き渡ります。
その代わりと言ってはなんですが、星空がめちゃくちゃ綺麗です。天の川なんて、最初は雲と間違えたぐらいはっきり見えます。そして時折、星が流れます。大きいのが流れると、「今の見た?」と周囲からざわめきが起きます。今のところ花火の数と流れ星の数がいい勝負です。

このまま終わってしまうの?と一抹の不安を覚ましたが、こちらは普通の観光客のように宿泊代を払っているわけでもなければ、住民のように税金も払ってないので、文句を言えた義理じゃありません。タダで見せていただくだけありがたいと思わねば.そんなことを考え始めたとき、急に打ち上げのペースが上がりました。

沖合いの台船と、その手前の海面に並んで生えている筒から盛大にスターマインが打ち上げられます。隅田川の花火には遠く及びませんが、海岸で椅子に座って見られるのだから贅沢と言えば贅沢です。

花火はずいぶん長く、9時半ぐらいまで続きました。ひょっとすると打ち上げ装置が故障かなにかして、あの前半のパラパラ花火は装置が直るまでの時間稼ぎに手動でやってたのかもしれません。
人と車がぞろぞろぞろぞろと帰り始めるので、車の中で人の波が引くまでレンタルビデオを見たりしてのんびりします 。

明日は島の東の端っこ、二つ亀で海水浴をする予定。寝るまでまだ少し時間があるので、途中まで走っておくことにしました。
再び日本海側の海岸線に出て走ること約30分。達者海水浴場というところで錨を下ろします 。

もう3日間ぐらい佐渡にいる気がしてきましたが、よく考えたらフェリーに飛び乗ったのは今朝の7時です。島に着いてから名物の蕎麦を食べ、宿根木の集落に行き、海水浴をして、金山を見て、お寿司を食べて、花火と流れ星まで見てしまいました。長い1日でしたが、妻子は移動中に昼寝をしているし、私は私でいろんな待ち時間にちょこちょこ昼寝をしているので、さほど疲れていません。

夜になると風がさわやかです。冷蔵庫からビールを出して、心置きなく一気飲みして、眠りにつきます。

流れ流れて佐渡島―Day One(4)海水浴

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しかしいくら宇治金時とはいえ、気温34度の地球上では冷却効果は3分程度しか持続しません。店を出て、小さな小さな港の横に停めた車に戻る頃には、汗がじわっと噴き出してきました。
港といっても海はきれいで、魚が泳いでるのが見えます。このままドボンと飛び込むこともできるのですが、せっかく佐渡まで来たのだからもっともっときれいなところで泳ぎたいということで、出発です。

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海岸線に点在するビーチを品定めしながら走っていくと、相川町の先にいいところが見つかりました。地図上は海水浴場とはなっておらず、海に面して駐車場と、水飲み場、臨時で置いたらしい簡易トイレがひとつあるだけです。
他に設備はなにもありませんが、海は極上です。なにしろ透明度が抜群。この水温も高くて、まるで羊水の中で泳いでいるようです。ただ惜しむらくは、伊豆のようにカラフルな魚はおらず、せいぜいイカぐらいです。
 
4時を過ぎると日が少しだけ傾き、人がパラパラと引き揚げていきます。我々もシャワーを浴びて、この近くにある佐渡金山の見物に出かけることにしました。
10分ほどで金山に到着。佐渡はどこに行くにも距離が短いので便利です。
入り口で聞いてみると構内には階段があるというので、僕と長男は車の中でお留守番。実はこういう時が格好のお昼寝タイムなのです。見学を終えた妻子が「ただいま」と帰ってくるまで、ベッドで爆睡してました。

流れ流れて佐渡島―Day One(3)宿根木

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小木からすぐ近くに、宿根木という、昔の漁村の風情を色濃く残している集落があるというので行ってみることにします。走るとものの5分で到着です。北海道とは逆の意味でスケールが違う・便利な島ではあります。
ここではかつて千石船を作っていましたが、地盤の隆起で港の水深が浅くなり、船が進水できずにさびれてしまったのだそうです。海岸線が作るV字型のくぼみに、家がみっしり詰まっています。


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集落の正面には竹でできた風除けがあり、ここがメインゲート。ゲートをくぐると、いきなり別世界に突入します。
道幅が1mちょっとしかありません。人がすれちがうのがやっとです。昔遊んだ路地のような道が、集落内に張り巡らされています。
    
路地を巡っていると、「氷」とのぼりが出た家(店、には見えなかった)があるので一休みすることにします。周りの民家と同じく、見事にコールタール色に染まった板壁の家ですが、中は洒落た和風喫茶になっています。東屋のある広い中庭もあり、そこに席を取ります。

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注文を取りにおばあちゃんが出てきて、早速犬のポーが尻尾を振ってご挨拶。
どこから来たの?と聞かれて横浜から、と答えると、犬の頭をなでて
「お~お~、遠いところよく来たねえ、かわいそうに」
と言っています。でも、一体何がかわいそうなんでしょう?「佐渡に来た=島流し」という図式は今も健在なんでしょうか?

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おばあさんは
「いいもの持ってきてあげようね」
といって奥に引っ込むと、ポーに氷入りの水をお椀に入れて持ってきてくれました。
ほどなく人間用の宇治金時も到着。
風鈴がチリリンと鳴って、空には白い雲がゆっくり流れ、暑いけど涼しい純日本の夏をしばし無言で楽しみます。

流れ流れて佐渡島―Day One(2)佐渡上陸

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フェリーを出て走り始めると、突然別のところに連れて来られたカーナビがうろたえて、「ここはどこ?私は誰?」とあさってな向きの地図を表示しました。フェリーで行く旅の、お決まりのスタートです。
ちょっと早いのですが町の方に出て、食事ができるところを探します。小木銀座と思われる小さな小さな商店街で、入り口が開いていたおそば屋さんで聞いてみると、開店は11時といいます。
「予約いただければ、早い時間にご用意できたんですけど」
と店のおばさんは言いますが、フェリーも宿も予約していないのに、そばの予約なんてできるわけがありません。他の店の開店時間も似たようなものらしいので、港に戻って埠頭に車を停め、フェリーの売店で買ったガイドブックを見て今後の予定を立てます。

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町は「本当に今はお盆なんだろうか?」と思うほど閑散としてますが、埠頭ではタライ舟の体験乗船をやっていて、ここだけは観光客がわんさといます。
そんな光景をぼんやりと眺めていると、だんだん「佐渡タイム」が体に馴染んできます。海は真っ青、空も真っ青、雲は真っ白。これぞ日本の正しい夏!という感じがします 。


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11時にそば屋に行くと、出てきたのは大きめのお椀に入った、いかにも手打ちと言う感じのそば。これに薄いつゆをかけて食べるのですが、なかなかおいしいものでした。

流れ流れて佐渡島 Day-1(1)

上信越自動車道、佐久平サービスエリアで目が覚めたのは朝の5時 。明るくなり始めた高速をのっそりと走り出すと、カーナビが計算を始めます。目的地・直江津港の到着予定時刻は6時33分。ちょうど7時にフェリーの第2便が出航するので、乗船手続きを考えると実にビミョーな線です。

到着予定時刻はリアルタイムで計算しているので、上り坂でペースが鈍るとピッと1分増え、逆にアクセルを心持ち強く踏むと1分繰り上がったりします。なんだかカーナビにせかされている感じです。
のんびりゆっくり、時間を気にせず気ままに走るキャンピングカーにとってはまことに似つかわしくない走り方ではありますが、乗り損ねると3時間近く直江津の近辺で時間をつぶさなければなりません。それもイマイチなので、到着予定時刻が6時40分を過ぎないよう調節しながら走ります。

見事に6時38分に直江津港着。他の車は乗船を始めています。切符を買って、乗船手続きをして、家族を降ろして車をフェリーに乗り入れるとすぐ後ろでデッキのドアが閉まりました。ぎりぎりだったようです。

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考える余裕もなく2等船室の切符を買いましたが、寝る場所は確保できそうなのでそのまま行くことにします。
2等船室の2箇所に車座が2つできて、既に大宴会に突入している集団が2つありました。声はでかいのに、何を言っているのかさっぱり聞き取れません。
以前、離島行きフェリーの船旅のことを書いたエッセイで、「島の住民にとってはフェリーは日常生活の延長にすぎず、従って乗船と同時に日常どおりの宴会が始まる」、というようなことを読んだ記憶がありますが、なるほどその通りです。知らなければウルサイナアと思ったでしょうが、日常生活ならしかたありません。しかし、まだ朝の7時です。佐渡って一体どんな島なんでしょう?

9時30分、佐渡、小木港着。海の色が青すぎます。
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流れ流れて佐渡島―プロローグ

夏休みは9日間の日程で北海道に行く予定だったのが、子供の部活の試合が入ってしまいお流れ。では、せめて2泊3日で沖縄へ、とツアーを探しまくったのですが、これも希望にかなうプランは満席でお流れ。
ええい、最北端と最南端がだめなら、真ん中でどうだ!とばかり、急遽佐渡に行くことになりました。
なぜ佐渡かって?理由は「行ったことがないから」(^^;)

行ってみると、なかなかいいところです。「日本の夏!」って感じですが、どこか沖縄とかサイパンに通じるものがあります。

古くから順徳天皇、世阿弥など、セレブな方々御用達のアイランドリゾート(島流しとも言う)を、3日ほど満喫してきました。
これから、「流れ流れて佐渡島」をシリーズでお送りします。

酉年には西をめざそう(終)

昨夜は名古屋の少し先、止郷PAまでたどり着きました。横浜を目指して、昇り始めた朝日に向かって出発です。車は順調に流れていますが数は多く、お約束のUターンラッシュが始まるのは時間の問題です。

サービスエリアで朝食を食べたり休憩をしながら走っていくと、ナビの画面上、静岡と富士インターの付近に渋滞の赤い帯が現れ始めました。静岡に近づくにつれ、その帯が少しずつ伸びてくるのがわかります。この渋滞に突っ込むか、どこかで高速を降りて時間をつぶすかは思案のしどころですが、渋滞がひどくならないうちに突っ切ってしまうことにしました。

両方とも20分程度で通過できましたが、この2つの渋滞ポイント、先頭はどちらもちょうど視界が開けて見事な富士山が真正面に見える場所です。みんな見とれて思わずアクセルをゆるめるのでしょうか。
同じぐらいの交通量の日で、雲がかかって富士山が見えない日と晴れてよく見える日で渋滞の発生がどうちがうか、なんて、子供の夏休みの自由研究の題材に使えそうです。

時間が早かったせいか、その先の大井松田-横浜町田の渋滞も大したことはなく、午後2時には自宅に到着してしまいました。早く着き過ぎて時間が余るのもなんだかもったいない気もしますが、どこかで寄り道したら大渋滞に巻き込まれることは目に見えているのでやむなしとします。

近くのコイン洗車場でボディにべったり付着している融雪剤を洗い流し、荷物を家に運び込んでやれやれと思っていたら実家から「弟一家が遊びに来ているから来ない?」というメール。
結局実家で新年のご挨拶&大ゲーム大会に付き合って、自宅に帰ったのが11時。最後までフルに遊んで、年末年始の休暇が終わったのでした。

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